2008年10月 9日 (木)

日本の男色考10

さてさて男色考も10回目。
…いいのかしらね。
なんだかんだ言ってこのブログ、男色関連の語句でぐぐって来られた方が一番多いので、まあいいかという気になっておりますが。
しかしこのブログは所詮腐ったオタリーナが書いてるものですから、学術的にどうかというとかなりアレですよ。一応それなりに文献読んで書いてますし、嘘を書いているつもりはありませんが…その辺りご承知おき下さいませ。

前置きが長くなりました。
今日は浮世絵に見る男色です!

まずは浮世絵から。
浮世絵は、=春画ではありません。役者絵とか美人画とか風景画とか、その時代の様々な浮世(この世)の様子を描いた版画絵のことです。
その浮世の様子の中に色事のこともあった訳で、今よりおおらかだったり、色事=子孫繁栄=目出度い!な発想だった当時ですので、春画も現代よりはよほど一般的に出回っていたと。(公には売買禁止ですけれどね)なにせ「笑い絵」っていうぐらいですから。
江戸時代の絵師や作家は殆どが春画本にも携わっているといって過言ではありません。里美八犬伝の滝沢馬琴だってあの日本画の円山応挙だって国学者荻生徂徠だって例外ではないのです。この玉石混交っぷりが江戸の面白さだと思うのです…って何時の間にか江戸語りになってますが。

さて本題。
浮世絵に男色図が出てくるのは、菱川師宣(見返り美人で有名ですね)からとされています。浮世絵の祖と言われてますので、浮世絵の誕生とともに男色図も出現したということになりますね。「和合同塵」や「今様枕屏風」などなど結構沢山男色本の絵を描いていますが、何が凄いって、かなり初期の本「若衆遊伽羅枕」には女性・若衆・念者の三人にもう一人の若衆と念者の女房って図がorz しかも、以降この女性・若衆・念者って3人の組み合わせは割と定番絵になります。なんつーか自由すぎだろう江戸人。

同じ頃、上方で活躍していたのが吉田半兵衛。井原西鶴の日本永代蔵の挿絵を描いた事で有名ですね。彼は春画的な男色図は描いていませんが(見つかってないだけかも)、西鶴の「男色鑑」の挿絵は彼であろうといわれています。この本は男色の「大鏡」(模範)なので、内容はあくまでも男色の「意気地」ですから、絵もそれに合わせた話の説明絵になっています。

宮川派の祖・宮川長春は肉筆画の大家で美人画を得意とする人ですが、やっぱり春画も描いていて、その中に若衆がしばしばでてきます。「欠題春画絵巻」(ストレートなタイトルだなヲイ)は12図からなってますが、その内の3図が男色絵です。wikiの長春の項の絵も男色絵だしね(笑)

奥村政信は浮世絵に遠近法を取り入れた画家として、また多色刷り絵に改良を加えて所謂錦絵の素地を作ったことで有名です。でもって、先に書いた女性・若衆・念者の三人取り組み図がお気に入りだったようで(笑)結構な数を描いています。この時代辺りから、男色絵に庶民が登場し始めます。

鈴木春信は、あの一種独特な雰囲気のある可憐な美人絵で有名ですが(なんか少女趣味っぽく思うのは私だけ?)勿論春画も描いていて、男色画もあります。「艶色真似ゑもん」ってシリーズがあるんですが…仙女から貰った薬で体が豆ほど小さくなった浮世之介という若者(絵を見る限りでは通な遊び人)が、諸国色の修行の旅に出かけるというお話です。これの第5図が陰間茶屋街にやってくる場面なんですね。真似ゑもんの台詞には、春信と同じ町内にいた平賀源内(エレキテルですな)を匂わせる文言もあり、こんなところで男色家っぷりが暴露されていたりなんかして(いえ、別に源内さんは隠してもいないんだけど)

勝川春草は勝川派の祖。門人にかの北斎がいます。比較的男色図を多く描いていたりします。凄いのがですね…女性・陰子・舞台子・念者・最後に犬という、なんかもうここまできたらギャグだろうって絵を描いてます。

そして浮世絵の大家・葛飾北斎。
この頃になると、江戸の男色熱はかなり冷めてきていて(禁止されたとか、倫理的にだめになったということでなく、あくまでも「熱がさめた」だけ)浮世絵の中にも男色図は少なくなってきます。でも北斎も1枚描いてます。なんかほのぼの江戸小噺ですよ。男色だけど(笑)

同じく喜多川歌麿。やっぱり少ないようなのですが、歌舞伎を題材にしたものが数枚あります。お染久松を題材にした絵は、久松と、念者・善六という設定です。他に小紫と権八・長兵衛だったり、お七と吉三郎(八百屋お七ですね)・吉祥寺の和尚だったり。

歌川国貞の絵、美人画なんかも非常に色気があって、こう幕末ならではのリアリズムが感じられるのですが。男色がらみで有名なのは、歌舞伎役者・三代目三津五郎と相方の女形・瀬川菊之丞、そして三津五郎の妻お伝の三角関係を題材にした艶本です。これに小姓の菊弥が絡んできたり、果ては翌年には瀬川菊之丞と七代目市川団十郎の艶本も出版されたりなんかして。まあ、内容的にはある程度事実を踏まえたスキャンダルのゴシップってカンジなんですが。

とりあえず有名どころを挙げてみました。
流石に有名どころだけあって、絵もキレイですヨ。
美人画とか役者絵、風景画など表で売られている浮世絵は価格が決まっていて、どんなに良いものでも今の価値で言うと1000円もしない。けど春画は元々禁止されているもの=裏で売られているもの=どんな価格でもつけ放題(高くても良いものなら売れる)=職人さんの手間賃もこっちの方が高い=物凄い多重刷りとか物凄く細かい彫りとかも可能…ってことで、当時の版画の最高の技術を見たいなら、春画。
とはいえ春画の全部が全部そうじゃないんですけれどもね。
また、上記のような有名絵師のものなら素晴らしいものもありますが、絵的には胸の悪くなるようなものも多いのが事実。ぐぐったりするときには充分お気をつけ下さい。

…男色っつーより春画考になってしまったorz 
江戸ヲタの悲しいサガですな

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2008年10月 6日 (月)

日本の男色考9

物凄く久し振りですがorz
いやほんとに江戸期の資料は膨大ですな<男色だけじゃなくてね(笑)

陰間茶屋の続き(補足)です。

陰間茶屋の発症については、いつ頃という明確な資料が見当たりませんでしたが、「陰間茶屋」として存在し始めたのは恐らく上方から歌舞伎が伝わった後頃だと思われます。(芸人の売色は先の記事の通りもっと以前からありますけれども)

遊興費については町やその陰間によっても違うようですが、男色細見の明和5年版によれば、芳町においては
もの日の切が昼六切・夜六切、仕舞が二両二分・片仕舞一両一分(但し夜の片仕舞は別に小花一分が必要)
ということで、決してお安くはありません。吉原で大名道具と呼ばれた呼び出し(宝暦の頃太夫は消滅しているので、元禄期には「呼び出し」が最高位の花魁です)ですら一両一分なのですから。…尤もあちらも宴会開いたり、お付きのかむろや妹女郎や朋輩、芸者なんかにご祝儀だなんだと、結局一晩で20~50両支払うのですが。陰間の方も宴会だ何だとやっぱりご祝儀を払うので、同じくらいに費用は膨らむのだそうです。
ちなみにいろいろなものの価値が違うので一概には言えませんが、夜鳴き蕎麦1杯が約16文。1両は四千文ですから…1両あれば蕎麦が250杯食べられます。現代の学食(笑)の超安い蕎麦が1杯250円として、一両が6万2500円。

8でも書いた訓練(?)ですが、詳しいものがありました。
「女大楽宝開」(貝原益軒の『女大学』のパロ)の中にある「若衆仕立様の事」。
なんと15枚の図版入り!しかし絵は文章とあんまり関係ないという(笑)何のためにつけたんだこの絵。しかし、陰間の養成法(と言ってよいのかしら…)としては有名な本でして、南方熊楠も文章の中で紹介しています。
もう1冊「艶道日夜女宝記」にも出てます。
両方ともかなり詳しく出てますが…私には書けない(笑)知りたい方はググって下され。但し気分悪くなっても責任もてませんよ!

とりあえずこんなところでしょうか。
次回は浮世絵に見る男色と言うことで。

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2006年11月 7日 (火)

日本の男色考8

なんか調べ直ししてたら膨大な量になってしまいまして…<江戸期
いや、この頃の史(資)料が一番多いからなんですが。
そしてやっぱり今回で終わらなかった(苦笑)

江戸に入ると、今までの層に一般市民が入ってきます。
室町の頃には特権階級+芸人だった訳ですが、
芸人ってのはあくまでも特権階級に買われる立場なので…
それまで一般人は文化だのなんだのと言ってられない状況でしたが
ここにきて、経済力をつけてきたことが理由でしょうね。
(男色なんて、生産性のない行為の最たるものですしね)
町民(=一般市民)が、男色そのものを異質なものとして認識していた訳ではないのは生活が豊かになって余裕が出てきた途端男色文化が浸透したことからも明らかです。

江戸の男色については、そのものズバリの「江戸の男色」って本が出てますが、私は未見です。(だって、買えないよこんなタイトルの本/笑)
ここから先も、今までどおり所謂史(資)料の中から拾い集めたものでいきますよー

江戸期の男色と言えば陰間!ってことで(笑)
女性(出雲阿国ですね)が始めたとされる「歌舞伎」ですが、風紀上良くないってことで女性が舞台に上がるのが禁止され、「若衆歌舞伎」になっていきます。ここで女形が出てくるんですね。歳の若い、線の細い所謂美少年系の役者が女役で登場するわけです。が、この若衆歌舞伎もやっぱり風紀上良くないってことになって(何があったのか…)「野郎歌舞伎」になります。年齢制限が出てきたわけですね。
で、陰間。
一番最初の記事に書いた通り陰間は男娼(男にも女にも売るよ)の
総称的な扱いになってて、売れっ子の花代はかなりお高めです。
「陰間」は、元々舞台に上がれない役者(=表舞台でなく陰の間にいる)の事だったそうですが、舞台に立つ役者も色を売るようになっていきます。
で、「陰間」は「舞台子」と「陰子」(または「色子」)に大別されるようになります。
また、少なくとも当時の「女形」は、ほぼ例外なく少年時代に売色の経験があります。
歴史の教科書に出てくる芳沢あやめだの瀬川菊之丞だの皆そう!
これも芸の為とはいえ、なんだかなー。
で、この客層が特権階級のみならず、裕福な町人にまで広がっていくんですね。
そういや、瀬川菊之丞はもともと色子(舞台に立たない)上がりだったそうで。
特別なコネかなんかあったんでしょうね。
色子からデビューして、江戸期一の女形と呼ばれるようになるなんて
凄いなあと思います。

さてその陰間茶屋。
先の記事の通り芳町(現在の日本橋人形町あたり)が有名ですね。
芝居小屋が近くにありました。市村座と中村座です。
十二軒ほどの茶屋に70名弱の陰間がいたとされます。
全盛期は恐らく1700年代後半辺りで、
天保の改革の苛烈な取締り以降衰退していった…というのが通説。
(尤も、天保の改革では陰間茶屋だけでなく
 岡場所もがっつり潰されてます。風紀取締りですから)
舞台子の場合は女形修行の一環的な側面もありましたが
色子は売色専門です。
が、歌舞音曲一通りはこなせるよう仕込まれていたそうで。
和歌や俳諧なんかの教養も要求されたとか。
で、一応、そういう目的の器官でない部分を使うわけですから
お店に出す前に訓練(?)があったそうです。
ま、それでも色々無理があるので(笑)
丁子油とか専用の薬なんかを使うことも。
上野花界堂の「通和散」が有名ですね。とろろ葵の根を
晒して挽いて粉にしたもので、水分を加えるとゲル状に。
(そういや昔、この通和散をギャグネタに使ったことが(笑))

13歳ぐらいでお店に出て、十代のうちは割と男性客を取り
二十代位からは女性客を取るようになるらしいです。
個人差等勿論ありますので、皆が皆そうではないですけれどね。
客の趣味の問題もあるだろうし(笑)
色子の場合は十代で落籍されることもあったみたいですし。
江島生島事件なんかは、舞台でも活躍していた役者が
大奥女中と通じてたわけです。彼は女形ではないですが。

床入りの詳しい話はちょっと書けません(笑)

そんな訳で。
今までの歴史同様、陰間も男専門ではありませんって話でした!

続く<陰間だけで終わっちゃったよ…

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2006年10月31日 (火)

日本の男色考7

さていよいよ戦国時代。
この辺からは有名なので語る必要もナイ気もしますが。

この頃までの男色と、これ以降の男色は、ちょっと違います。
バイセクシャルが基本。男のみ!のヒトが少なかったことや
男色が別に奇異なものでなかったのは同じなんですが
それまでの男色に、武士道の精神が徐々に入ってきます。
「衆道」という言葉が使われるはじめるのも江戸初期。
読んで字の如く「道」=美学的要素が加わってきます。

戦国武将でそういう関係といえば、
織田信長・森蘭丸が有名ですが実はこの二人
文献的に確かな証拠が残っているわけではありません。
が、状況証拠はばっちりです(笑)
信長の小姓で、関係が記録に残っているのは前田利家。
かの司馬遼太郎も書いてましたが、『亜相公御夜話』
前田家に伝わる書ですが、これにはっきりと
その関係が書かれているそうです。

尤も有名な文献的な証拠が残っているのは
武田信玄と春日源助(高坂弾正)。
東大史料編纂室に、信玄からの浮気してごめんよーな手紙が
保存されているのは有名な話(ト●ビアで紹介されたんですって?)
春日源助は元々武士ではなく、百姓の子どもです。
(と言っても豪農だったようですが)
上杉謙信勢の最前線に位置した海津城将だったことや
『甲陽軍鑑』の原作者であるとされることから
猛将であり知将であることは間違いないのですが
「男色は普通」な文化がなければ、
小姓として取り立てられることもなく
武将・高坂弾正はうまれなかったでしょうね。
後がっつり残ってる資料は「備前軍記」
宇喜多直家が、家臣の岡清三郎(後の剛介)に秘命を与えます。
敵地の最所元常に仕官し寵愛を受けるように仕向け
油断したところで暗殺…という(怖)
元常の男色趣味を見越してのことなんでしょうね。
そして独眼竜・伊達正宗。
未見ですが寵童へのお手紙が残っているのだそうです。
大内義隆。
『陰徳記』(江戸初期に成立)に
「四郎隆景は、容姿甚だ美なりしかば、
義隆卿男色の寵愛浅からずして」との記述があります。
四郎隆景は、あの毛利元就のお子です。三本の矢。
人質で大内家に預けられてたんですね。
兄ちゃんの隆元も人質時代にお相手をさせられていたようです。
ザビエルが義隆に「男色は罪である」と批難したって話も残ってます。
(伴天連だからな…)
また、寵臣・陶隆房にあてた恋歌(笑)が残ってます。
この陶隆房が後に謀反を起こして義隆を討つわけですが
愛憎のもつれ説が有力なんだそうで。
義隆は寵童に自分の名前の1字(隆)を与えているので
分かり易いですね(笑)

有名武将系で文献的に残ってるのはこれぐらいかなー
文献には残っていないけれど有名なのは
先の信長と蘭丸・蒲生氏郷と名古屋山三郎
秀次と不破万作・上杉謙信と直江兼続…
挙げればキリがありません。
つーか、戦国武将でバイセクシャルじゃなかったのは
農民出身の秀吉ぐらいだろう、とさえ言われています。
(キリシタン大名の高山右近とかはどうなんだろうか…)
謙信は不犯の誓いを立ててたから、
ある意味バイセクじゃないですね(笑)

戦国期の男色は、煽情・・・じゃなくて戦場に
女を連れて行けないからだ、とかよく言われてます。
個人的にそれは違うんじゃないかなあと思います。
いえ、そういう事情もあったのかもしれませんけれど・・・。
理由は、今までの記事を読んで下さればお分かりかと。
戦国よりはるか昔から、男色は奇異なものではない
って認識がなされてた国なんですよここは。
それどころか、神聖視する面もあった訳ですし。
この時期からはそれに美学すら加わってきます。
武将のたしなみというか、高尚な趣味ぐらいのカンジ?
主従の絆を深める一手段的な側面もあります。
(この辺が武士道に繋がっていく)

続く<あと1回で終わるかな?

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2006年10月30日 (月)

日本の男色考6

ホントにバセドウで検索していらしてる方が多数いらっしゃる…
ので、「りんく」を上のほうに持ってきました。
バセドウ関連は左側の「りんく」のばせどー日記へどうぞ~

さて。こんなの連載してる暇あったらさっさとサイト整理進めろや
ってハナシなんですが。私もそう思います(苦笑)
多分あと2・3回で終わる。てか終わらせる。

さて今度は室町期。
僧侶・貴族・武家といったある意味特権階級に加え芸能者が
入って来るようになります。
有名どころはやはり世阿弥(藤若)と義満でしょうね~
実は明記した文献は未見なのですが、まあ疑いないところとして
広く知られています。学者さんで異を唱えてるヒトもいませんし。
世阿弥を紫の上に例えてるし(笑)
義満も女性関係・男性関係ともに派手だったようです(笑)
当時また後の時代の、巷間の噂の域を出ない範囲で考えるなら
足利将軍家、漏れなくバイセクシャルです。しかも派手です(笑)
嘉吉の乱の原因は将軍義教の男色関係のもつれから、とも
言われています。

一休さんは自ら『狂雲集』でバイセクシャルであることを記してます。
赤裸々です。凄いです。
頓知の小坊主の面影なんかありゃしません。
禅僧としてどうなのと思わんでもないですが(笑)
まあ、肉は食う・女は囲う・男もやる、ってんで、
見事なまでの破戒僧っぷりは有名ですけれどね。

めずらしく、バイセクシャルではなく、男のみ!なヒトも現れます。
管領・細川政元。細川勝元の子どもですね。
これにかんしては記述してある書が存在するようですが、未見です。
ちなみに里見八犬伝に男色家として出てくる(犬江新兵衛に恋慕)
細河政元のモデルは彼でしょう。名前1字違いですしね。

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2006年10月29日 (日)

日本の男色考5

さて。
なんかあんまり需要もないようですが(苦笑)
辞めようかとも思ったのですが、途中で放り出すのもなんですし。
ココからはサクサクいこうと思います。

いよいよ鎌倉期。
うーん、目立った記述はあまりありません。
寺院稚児系のものはそこそこありますが…
大きなものは「増鏡」ですかね。
関白・近衛家平が
『中ごろよりは男をのみ御傍らに臥せ給ひて』とか
『成定といふ諸大夫いみじかりき』とか
『隠岐守頼基といふもの、童なりし程より、いたくまとはし給ひて』とか
書かれてます。
しかしこの増鏡、作者不詳とされていますが
後深草院二条(とはずがたりの作者)という説が結構有力でして。
とはずがたりお読みになると分かると思いますが
私、このヒト結構な妄想癖があるのではないかと思うのですよ。
そう考えるとこれは本朝初のヤヲイ小説(ナマモノ)ということに!(笑)
あとはあれですね、徒然草。有名だから解説の必要もなさそう(笑)

どうも都よりに偏りますね。
まだお公家文化色が強かったということでしょうか。

そういや寺院稚児系ですんごいのが出てるのはこの鎌倉末期だ!
『稚児之草紙』作者未詳。醍醐寺の秘宝で門外不出。
私は未見ですが三島由紀夫は本物を見たことがあるそうです(笑)
門外不出とはいえ、断片的には漏れているわけでして
その情報を集約すると、
「お坊さんの為の男色小説(イラスト入り)」ってカンジ?
絵は…かなりドギツイですよ。
稚児之草紙でググれば出てきますが、自己責任でお願いします。

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2006年10月27日 (金)

日本の男色考4

まだ院政期なのにその4て(苦笑)

さて続き。

前回まではとりあえず資料にがっつり明記してあるものだけを
取り扱ってみましたが
今回はこの時期の人物で軽~く妄想系でいってみましょう!
<は?
明記はしてないけれど状況証拠ってヤツですね。
ちゃんと学術書に載ってるのもあるので
妄想系って一括りにするとまずいかしらと思いつつ。

当時の状況からしてこれはそーいう関係なんじゃないの?
ってのはやっぱり院政期からどかどか出てきます。
まずは白河上皇(法皇)
前回も書きましたが、この方は女性関係も男性関係も
相当派手なんですね。
平家の台頭は清盛のおとーさんが白河上皇の相手を
務めたことに始まる…というのは結構さもありなんと
思われていたようです。
下級貴族である武家がのし上がるのに用いられる手段として
ありがちだったのは事実のようですしね。
白河上皇も鳥羽上皇も、手をつけては高官に取り上げる
を、繰り返しております。
かの源頼朝も幼い頃後白河法皇の相手をした可能性が高いことが
「院政期社会の研究」という本に出てます。
後白河法皇も結構凄まじいんですよねー
有名どころだと平重盛と資盛親子とか(親子…orz)
藤原信頼(中納言・信西と組んで平治の乱を起こしたヒト)とか
藤原成親(鹿ケ谷の陰謀の時に露見して流刑にされたヒト)とか
平業房(丹後局のダンナさん)とか…
枚挙に暇がございません!(笑)

平家物語を読んでいくと、状況証拠系が山盛りです(笑)
あくまで物語ですので事実ではないかもしれませんが
当時の人たちが「そう思ってたんじゃないの?」てのは
垣間見ることが出来ます。
木曽殿と今井兼平なんかそうかなーと思います。
兼平は巴御前の兄ちゃんなんですがね。
木曽殿最期の場面では、義仲が討たれたと知るや
「今は誰をかばわむとてかいくさをもすべき」
と言って自害して果てています。
強い主従の絆って言えばそうなんですが、
まあ、当時の世相を考えると…乳兄弟だしな。
教経と菊王丸なんてどうでしょうか。
なんで18歳(あれ?19歳だっけ?)にもなって稚児姿で
描かれてるんだ菊王丸。(絵巻の方ね)
源氏より平家の方が、そういうの匂わせるハナシが多いのは
やっぱり平家の方がより貴族色が強いからでしょうね。

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2006年10月26日 (木)

日本の男色考3

続き。

そんな訳で、男色が奇異なものである認識は
どうやら薄かったようですが
その後、寺院稚児以外には目立つ記述記録は暫く出てきません。
稚児は…分かりますよね?
お稚児趣味といえば、まあそういう意味のことでして(どういう意味だ)
本来寺院の稚児ってのは出家見習い段階の少年ですが
僧侶相手のそういうコトをしていたのも事実です。
稚児男色の発生は、仏教における女人禁制のはけ口とされてます。
それも大きな要因ですが、示現伝承(神仏が少年=稚児として
現れるハナシ。『稚児観音絵巻』など、複数の絵巻物に出てくる)に
拠るところもあったのではないかと思われます。
また、比叡山の「稚児灌頂私記」によれば稚児灌頂を受けた稚児は
神仏の化身とされ、~丸と言う名を授けられ、
『、顛倒妄想に引かれて、煩悩の炎起せば、犯すべし。
 縦ひもし犯すとも、かくの如く、この灌頂の児を犯すべし。
 もし無灌頂の児を犯さば、三悪道の種因となるべし』
なんだそうで、要するに灌頂を受けた稚児のみと関係を持て!
それ以外の稚児とは関係を持ってはイカン!て事らしいです。
稚児とのそういう関係をむしろ神聖視する宗教的側面がある訳です。

ああやっぱり宗教と結びついちゃうのね~(笑)

男色がどかーんと表舞台に出てくるのは院政期。
院政を始めたとされる白河上皇はバイセクシャルで
女性関係も派手ですが男性関係も派手です(笑)
院政期の院の近臣ってのは稚児上がりが多いのも特徴。
当時の最高権力者の一人、悪左府と呼ばれた藤原頼長
(宇治左大臣とも呼ばれてます)は、「台記」という日記に
自分の男性関係(笑)を明記しています。
一例を上げてみますと…(漢文体です)
『久安四年(1148年)正月五日
 今夜、入義賢臥内、及無礼有景味(不快後、初有此事)』

待てコラどこの赤裸々ブログだというツッコミは置いといて。
紫式部日記とか更科日記のような女性の日記は
それこそ徒然筆の赴くまま書いてますけれど
男性、しかも公卿の日記は自分の一族や子孫に
宮廷行事や人間関係、政治的ノウハウなんかの参考資料として
伝える為のものです。
そんな日記にこんなことを山盛り書いちゃってるってのは
男色関係をもつことは別に恥ずかしいことではなく
政治的側面も持っていたことの現われなんでしょうね。
それにしても、誰と男性関係があったとかまでは兎も角
「なかなか良かったよv」なんてことまで書く必要はあったのか?
ちなみに義賢ってのは、あの木曾義仲のお父さんです。
えー、他にもですね、正妻のお兄さんとかですね
男ばっかり3人で、なんて記述もあったりします(どうなの)
「隆季」とかのように実名あげているのもあれば
「ある公卿」みたいにぼかしてるのもあります。
藤原隆季は1年がかりで口説き落としたようですよ(笑)
くどいようですが、これはプライベート日記ではなくて
子孫に伝える為の日記です。…orz
ちなみに、この頼長、記述から察するに受け攻め両方OK。
大臣になったのは10代後半で、37歳の時に保元の乱で敗死。
「今鏡」によればなかなかの美男子だった模様。
勿論バイセクシャルです。
この時期、帝も院も摂政関白もみんなバイセクシャルだからなー。
台記程じゃないけれど、当時の公卿の日記には、
結構な割合で男色関係の記述が出てくるようです。

悪左府の所為で長くなった(人の所為にするな)。
再び続きます。

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2006年10月25日 (水)

日本の男色考2

続き(笑)

男色のはじまり

日本の男色文化がいつ頃からあったのかは定かではありません。
「弘法大帥が唐から持ち帰った」なんて説がありますけれども
古代中国の男色が所謂「お口で」が主流だったことを考ても
ジンギスカンは義経だった!位の眉唾モノですよね
(日本の男色は「お口で」ではざいません)
ギリシャ神話の中にも男色なハナシはたくさんありますし
古代ローマ帝国だってそんなハナシに事欠かないし
大昔から色んなところでそんな文化はあったのだよ、てコトで。

日本で最初に公の文書にそれらしき記述が出てくるのは
「日本書紀」です。小竹の祝と天野の祝のハナシ。
(祝者ってのは神職従事者です)
簡単に言うと男性同士の心中ネタ。
また、吉田敦彦氏の『昔話の考古学』に拠れば日本の原始宗教上
男性の成人式のような通過儀礼において、
石棒(そーゆー形の石器。実際に発掘されてます)を
使っていた可能性が高いとか。
いわゆるスキモノとしての「男色」ではなく、
宗教的な意味合いのある「男色」が先行していた部分が
あるようです。
男色が異端ではないその素地が大昔からあったんですね。

続く >諦めて暫く付き合ってやってください

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2006年10月24日 (火)

日本の男色考

…ってまたとんでもないタイトルですが。

なんか、前にも似たような事があった気がしますが
今日の出張帰りの電車の中で
女子高生(中学生かも知れん)がしゃべってた話題に
思わず突っ込みを入れたくなった私なのでした。
以前日記に書いたものを再編集してお送りします(笑)。

そもそも、日本において、男色というのは別に
珍しい現象ではなかったのですよ。
江戸時代までは。今からたかだか130年前です。
まあ、生理的に合わないって人は勿論いたわけですが、
道徳的にいけないことだという意識はなかったようです。
男でも女でも、良いものは良い、ってのが当時の考え方で、
男色一辺倒の人より両刀の人が圧倒的に多かったとか。
それは売る方も同じで、いわゆる陰間茶屋というのは
男色専用ではなく、女の人にも売るわけです。
陰間茶屋は、江戸で言うと芳町・境町などの芝居町、
大きな寺社の門前に多くありました。
芝居町に多かったのは、歌舞伎役者さんが
これを副業としていたから(有名な話ですな)。
寺社の門前に多かったのは、僧侶の需要があったから
ではなくて(苦笑)。
日本と言う国は寺社と遊興地が隣接するのが普通だからです。

芳町の一番の売れっ子の玉代は、一切(45分ぐらい)三分。
吉原の松の位の花魁が半日で三分だったことを考えると
(もちろんコレにお茶代やらご祝儀やらなんやかんやが
重なって、最終的には20両(120万)ぐらいになるんですがね)
どんだけ高価か知れようってもんです。
もちろん公に認められた商売ではないのですが
(吉原は幕府公認です)、それでもけして影でこそこそ・
隠微なカンジはしなかったようです。
かの平賀源内も著書の中で言っています。
「女色に淫るる輩は我が男色の貴きことをしらず」と。

そんな訳で、けして江戸の男色家はひっそりではなく大っぴらに
明るく引け目もなく暮らしていたそうですぜ。

続く<ゑ?!

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